お酒を呑んでみた

昨夜、数日ぶりにお酒を呑んでみた。食事の時間帯の頭が重い感覚や、他の時間帯に発生する少しの頭痛などに対して、お酒を飲まないと敏感に感じるようになった。体調に対して過敏なのは良くないけど、鋭敏な方が健康維持には良い。

昨夜は少しぼうっとしていたので、酔い覚ましをしてからお風呂に入った。その後、程なくして寝てしまった。

今朝は頭が少し重く、身体も重かったし、感覚も鈍かった。やはりお酒はあまり良くない。家では来客や慶事でもない限り、ノンアルコールに徹しようか。

食事も野菜を中心にしてもらうように、変えてもらいつつある。これらは、ある種のデトックスなのかな。

散歩

散歩した。少し出かけたが、遠出はせず、ほとんど家にいた。飲酒をしなかった。

自分を見つめる時間も大事と言うことか。

メディアの消費者という役割から降りかけているかもしれない

以前は小説を読み漁っていた。推理、ハードボイルド、青春、恋愛、サイエンスフィクション、ファンタジーなど、現実に近いジャンルから、まったく現実から遠いジャンルまで、特に拘りなく読んでいた。私が読みにくいのはエッセー、私小説、純文学、歴史、伝記、そして詩。ある歳までは翻訳物も読めたが、最近は読みにくくなった。ともかく大量に読んでいた。

それがこのところ、めっきり購入スピードが落ちた。買うけど読まないから、買わないに移ってきた。テレビもスポーツ中継、バラエティ番組、ドラマの順に徐々に見なくなり、アニメもあまり見なくなってきた。映画はたまに観る。

こうなると自分が活字メディアと映像メディアの消費者という役割から降りかけているように思えてくる。間近で見ると様々な多様性を持っているように見えていたものが、少し引いて眺めると似たような特徴を共有しているように見えてくる。類型化の粒度が粗くなってきているとも言える。興味のあるものには細かい分類を作り、興味がないものには粗い分類で片付けるのは、人間の性だろうか。

流行に触れたり、新しいものを探したりするメディアがなくなった訳ではないので、自分の新鮮な感覚は忘れないようにしたい。興味は移ろいやすくて構わないと思っている。しかし以前に興味があり、今は失ったものをいつまで保存しておくか、という新たな問題にも直面している。

飲酒後に眼底に違和感を覚えた

もうお酒は控えた方が良いのかも。ハイボール濃いめを2缶、日本酒を2合で、眼底に違和感が出た。

10時前と早いが、さっさと横になり、程無くして寝入った。

翌朝にも少し残っていたから、お酒のせいではないかもしれない。それでも身体に良くないことは、減らしていこう。

翌日追記:ふなぐちを1缶、夕方に開けていた。これか。