リードとミスディレクションとミスリード

他人の注意を相互理解のある目的に沿って誘導するのがリード、他人の注意をこちらの意図するように相手にとっては誤った方向にリードするのがミスディレクション、本当に誤った方向にリードするのもミスリード。普通の人はどれか1つしか使わない。これらを混ぜて使う人は、かなり理解されない人になる。ミスディレクションしか使えない人もたまにいて、ミスリードとあまり区別がつかないが、わざとでないところが違う。

明日からリセット

急ぎの仕事は全て終わった。急ぎでない仕事は明日に頑張っても全く追いつかない。だから、今年度の平日の業務は今日の8時で仕舞いにすることにした。明日に回すだけのことだけど、世間の勤め人に合わせるように平日を早めに終わるのは、きっと少しは大事なこと。酒飲みが多く乗ってる金曜遅くの電車で帰るよりはずっと良いこと。

買うものを探さない

買い物は欲しいものがあるからするのが良い。特に具体的に欲しいものがなく、何か買うものがないかと探す買い物は勿体ない。必要だから探そう。欲しいから買おう。ただ集めるだけの買い物も同様にやめよう。買ったものを並べて楽しまなければ、買うのが勿体ない。

最近、少しずつそう思えるようになってきた。衝動的に欲しくなるのは避けられないし、何気なく探していて買ってしまうのもある程度は許容したい。単にそれらを減らしたいと思うようになってきただけ。

持ち物を減らす

持ち物の数は可能な限り少ない方が良い。不要になったものはないか、どれかで代替できないか、いつも見直した方が良い。数が少ない方が、個々の物を見失う確率が低くなる。種類が少ない方が、物の世話をする手間が少なくなるし、複雑さも減る。

移動中にやりたい事を減らすと、さらに持ち物は減る。移動中に音楽を聴かなければ、ヘッドホンが要らない。すると、事前の充電も不要になる。音楽プレーヤーも不要になる。

家と出先に置いておけば良いものは、両方に用意しておけば、鞄から取り出せる。筆記具の大半はこれで良い。ノートも目的によらず一冊で良い。

2つ以上はいらないから仕方なく持ち歩くもの、も減らしたい。高価な物や貴重な物がこれに該当する。あまり高価な物は持ち歩かずに、どこかで大事に使うのが良い。手帳は2つ持つ意味はないからやむを得ないが、萬年筆はあまり持ち歩かなくなった。これでインクも持ち歩かなくてよくなった。

何かが増える時には、別の何かを持ち歩くのを止めるか、一層の事、使うのをのを止めるぐらいが丁度いい。そうこうするうちに、持ち物は自然と減っていく。本を整理するのが面倒で、最近はもっぱらKindleのためのデータを買うようになった。Kindle向けに発売されていない本はそのまま購入するが、本とKindleを同時に持ち歩くことはなくなった。次はiPad Proを買って、デジタルペーパーとノートパソコンを減らしたい。でも、iOS機器は端末にはなりにくいので、悩んでる。それならデジタルペーパーで十分だし、そちらの方が軽くて薄い。

首から下げるのは1つでいい

普段使いのスマホの数を減らすことにした。首から下げるのは一台のみにして、職場では仕事用のもの、職場を離れたらプライベート用のものにする。二台は互いにぶつかるし、煩雑だから。

Apple Musicの端末も1箇所に1台を指名して置いておけば良い。出先はMacBook Pro、自宅はiPhone 7 Plusをそれぞれ専用にしてしまおう。

迅速に撤退

あの人は待てても、私は待てない。協調して進めたかったけど、相談に乗ってくれず、合意もできなくても、私の裁量と責任の範囲で対応できることの方が実は多い。多くのことにプランBを発動させる準備を進めている。

理解されないならいいかな

適切な時期と間隔での世代交代は、組織の継続には必要と思うようになってきた。同じことを一人が永続的に担当すると、組織は回らなくなるようだ。そのためには、誰もがやりやすい役割を抱え込んでいてはいけない。

既得権益を維持したがる人については対応が難しい。一度獲得した権利を手放さないとも言えるが、それだけでなく既に存在しないはずの権利を保持していると主張する人もいる。過去の実績を持つ人の意見を尊重するのは悪いことではない。ただ、同様に現在に頑張っている人が動きやすいようにすることも大事だ。その人が既に現在は関与できないポジションに移っても、影響力を持続的に行使したがることは、組織には良いことではない。

そう思うのだが、そのようには公式には発言できない。かすかに意思表明をするだけでも、通常は逆風しか吹いてこない。同僚とは同じベクトルを共有したいと思ったが、どうも理解されないらしい。それなら別に良いかな。

自らを律する

飲酒を控えることも、時間を計画立てて使うことも、自律することと理解しようとしている。一つ一つのことをどうにかしようとするのではなく、心の芯の辺りをどうにかしないと、また別のことに律しきれなくなった影響が現れてしまいそうだ。目指しているのは、見た目はぶれても、揺れても、不安定でも良いけど、その実は安定感のある制動ができている状態。心の平穏、静寂、清明などでない。いつでも心に余裕を持ち、決してすべてのことに準備をしている訳では無いのに、あらゆることへの備えは出来ている。例えて言うならある種の悟りかもしれない。

これで合っているのかな。なんか、物凄く無駄なことを考えている気がしてきた。

手帳の使い方を真面目に考える

今は見開き1週間のリフィルを2組、1頁1日のリフィルを2組、それぞれ入れている。1週間のリフィルはタスクの投げ入れとその日の時間の使い方の計画、1日1頁のリフィルはその日の記録とメモにそれぞれ使おうとしている。でも、時間の使い方の計画がうまくいっていない。投げ込みと実績の間を結べていない感じ。

投げ込んだタスクを、細やかに配慮する必要があるものと時間を見つけて対応すればいいものに分類して、日々の計画はその日にやらないと後で困るものを中心に緩やかに立てる、という事が簡単にできるようにしたい。全体の進捗も管理したい。この目標に照らして、たぶん投げ込みは合ってる。記録も合ってる。この間が、自分への時間予約では回らない。簡単に計画と実績を比較したいが、ごちゃごちゃしないようにもしたい。

全てを手帳で管理する考え方は無駄が多いか。何でも書くのは時間を取られすぎる。細かいことをいちいち記録しなくて良いように、手帳に書くものと書かないものに分け、書かないものに対応する時間を枠でとってみるか。あるいはもう少しだけ手帳と向き合う時間を増やすか。

1つめの1週間リフィルと2つの1日リフィルの使い方は慣れてきたように思う。2つめの1週間リフィルの使い方が鍵だな。