職場で調達している筆記具が分かれた。同僚はフリクション、私はジェットストリーム。これはこれで平和だな。
ノート族への回帰
小さい頃はノートを使っていた。中学生ぐらいまでかな。高校からルーズリーフになった。その後はずっとルーズリーフ。そうしたらノートを保管する習慣がなくなった。書くけど、残さない。整理が面倒。勤めてからまた、たまにノートを使う。同僚がノート族だ。ルーズリーフを殆ど使わない。真似をして大きな一冊のノートにしてみたが、どうも持ち歩けない。そして最後まで使い切らない。
思い切って普通に、用件ごとにノートを作ってみることにした。これで、必要なものだけを持ち歩ける。荷物が大きくならない。A4のノートは雑記帳として使う。でも、トピックを分けた方がいいことは、用件の複雑さと大きさに応じて、B5とA5の大きさを使い分けるようにする。
頭の整理を、物で行う。うまくいくかな。
タイミング
物事を進める際には適切なタイミングの検討も大事だ。良くないタイミングで進めるとうまくいかないとことがある。前提が揃っていないのもだめだ。用意周到に準備しても、タイミングが悪かったり、他のことが動いてしまうと、容易に頓挫する。埋めたつもりの外堀に、新たな水が流れて来たりもする。
とにかくタイミングは大事だ。
痛いと言ってみた
痛いのをずっと我慢してたのを、痛いと言ってみた。そう、これは痛みなんだ。言ったら楽になった。
これは使える。でも言い過ぎないようにしよう。
嘘
嘘をつかれた。この人、実は嘘をつく。しかも私と同じ、部分的に嘘をつく。
批判しない
相手は子供ではないので、気軽に批判しない方がいい。批判を発言するには、相応の覚悟が必要だ。なぜなら、相手にとって心地良くない発言になり兼ねない。上手に伝えないと、相手の中に発言した自分へのマイナスポイントが貯まる。
諫言も同様だ。聞いてくれていると思って諫言を重ねると、いつの間にか、相手に疎まれている自分を見い出すことになる。諫言は癖になってはいけない。
助言と批判と諫言はいずれも異なる。相手にとって良いように発言するのが助言だ。助言には、それ以上の気持ちを込めてはいけないし、それ以外の意図を感じられてもいけない。抑圧的な発言と取られてもいけないし、必要以上の好意があると取られてもいけない。
大人の世界は面倒だ。
距離の置き方
苦言を呈さない、質問しない、助言をしない、締め切りを告げない、コーヒーを淹れない、お茶も淹れない、プリンタの紙を取らない、物を整理しない、掃除しない、あと何だろう。
思い付くのは大人気ないことばかり。だめな人。止めておこう。
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epsに対応していないのか。
距離を置く、と言われたこと
とある人からそう言われた。早速、昨日から冷たくあしらわれた。こちらも、気軽に接するのはやめておいた。そうして1日冷静に考えてみると、確かに距離を置いた方が冷静に状況を見つめられた。愚痴を共有しても、お互いに主観を交わし合っても、理詰めで話せなければ、最後に良い案で合意することは難しい。
うん、あちらが望むなら、しばらくこれで行くのに賛成だ。私もそろそろ、関与することは自分のことだけにしないと、考える時間が足りなくなってきたようには感じていたから、丁度いい。
仕事では、向いている方角が同じでも、親しすぎては良くないこともある。そう感じて、この4年間ずっと特設していた専用のホットラインを、一旦閉じてみた。鳴らない電話は置いておいても意味がないし。
そうだな。助言通り、落ち着いてみよう。
4月9日はUbuntu記念日
あなたが使えと言ったから、4月8日はUbuntu記念日。
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