プレゼンのマインドセットの中心に説得を据える

私はプレゼンの機会を与えられると、暫くは表面上の目的を設定したままにしてしまう癖がある。報告しろと言われたら、はい、報告します、と言った風に。これは、プレゼンの本当の目的ではない。

プレゼンの目的は、誰に何をして欲しいか、である。プレゼンと言う行為は、何かを伝えること。相手が伝えてほしいから、時間と場所を確保した上で呼ばれる。或いはこちらが何かを伝えたいから、お願いして時間と場所を確保して貰う。話す方と聞く方のいずれがより積極的かは、場合によるが、プレゼンの結果、双方が何らかの合意に達するか、或いは聴衆が何らかの判断や評価、意思決定を下す。そこを目的に据えないと、形式的なプレゼンを用意して、行ってしまう。

限られた時間の中で、最大限のこ効果を得るようなプレゼンとは何か、を突き詰めて考えてやっと、プレゼンの構成が浮かび始める。情報量過多は、詳細が伝わらない。情報量不足は、誠実でないと取られかねない。少ない枚数に十分な情報量を理路整然と並べると格好いい。忙しく入れ替わりしないスクリーンを見ながら、落ち着いて話を聞けると、好印象を与える。

そして構成を考えるためには、やはり中身が必要、となる。そのためには何を用意すれば良いか。

このように、ゴールから考え始めて上流に遡るように、全体のプロセスを考えることが、プレゼンでは必要だ。

プレゼンの会場に入って、どうも聴衆が想定したのとは違う意識で着席していると感じたら、話の構成を変えた方が良いこともある。プレゼンの目的は相手の説得にある。用意したシナリオ通りに説得すれば応じて貰えるとは限らないことを、誰もが知っているはずだ。だから、プレゼンのマインドセットの中心には、誰をどう説得して何をしてもらうか、を据えることになる。

iCloudの同期

そこら中のマシンやデバイスにiCloudのカレンダーやリマインダーを同期させると、1つのアラームが至る所で同時に鳴ってしまう。オフィスのMac、鞄の中のMacBook Pro、自宅のMac mini、放置したままのiPad Pro、持ち歩いているiPhone XSか腕のApple Watchで鳴る。少なくとも画面に通知が表示される。これを避けたくて、iCloudの通知が表示されるサービスの同期を絞っている。

カレンダーとリマインダーの同期はオフィスのMacと、持ち歩いているiPhoneと、自宅のMac miniのみにした。MacBook Proからは、必要に応じてブラウザからアクセスすればいい。写真の同期も減らしてある。

メモ帳とアドレス帳の同期は、すべてのパソコンとデバイスで行っている。Safariの履歴とブックマークの同期も同じ。メールも同じ。

同期先を減らすと、同期されている情報の更新も早くなる。だから最近は、デバイスごとに異なるアカウントを用いるようにもしている。捜すときに苦労するが、それもパソコンでログインして捜せばいい。

セルフマネジメント (2019/03)

タスク管理はiPhoneのリマインダを使っている。リストは4つ。

  • Will
  • Tomorrow
  • Today
  • Log

今日中に取り組んで終える見通しを立てたタスクはTodayに置く。終えたタスクはLogに移動する。少し先に取り組むつもりのタスクはTomorrowに置く。Willはプロジェクトの一覧だ。

GTDのInbox (タスクの投げ込み先), 2 min (すぐにやるタスク), Wait (誰かの回答待ちのタスク), Schedule (未来に予定をしたタスク), Project (微細なタスクに分解する必要あり), Someday (いつかやるタスク), Reference (資料、メモ)と比較する。Todayは2 minと同じ。TomorrowはScheduleと同じだが、InboxにもSomedayにも使う。WillはProjectと同じ。メモはメモ帳かシステム手帳に書くので、Referenceは要らない。Inboxも要らない。更新は毎日だ。Logはカレンダーに転記したら、削除する。

予定管理は、iPhoneのカレンダーとシステム手帳を併用している。iPhoneのカレンダーの更新は、アシストを他の人にお願いしている。リマインダーもお願いしたいが、あまりうまくいっていない。システム手帳では、こちらはスケジュール管理が主となる。先々の予定と、当日の記録を行なっている。日記に近い記録も、システム手帳に記している。

iPhoneは持ち歩いているが、システム手帳はよくオフィスに置いたままになるので、目の前のタスクに専念できていないのが、今の課題だろうか。

鞄の中の持ち物 (2019/03)

現在、常に持ち歩いている物を並べてみる。

  • iPhone XS (通信用)
  • iPhone XS Max (作業用,テザリング)
  • システム手帳 (メモ帳兼用)
  • ボールペン3本
  • 萬年筆4本
  • 財布
  • 定期入れ
  • ノート3冊 (整理用,職場の往復のみ)
  • 充電用バッテリ
  • 充電用ケーブル
  • イヤホン
  • 爪切り
  • 靴べら

これに一冊の本と資料を少し加えると、もう一杯になる大きさの鞄にしている。ノートパソコンも入るが、なるべく持ち歩かないようにしている。

持ち歩かなくなったものは次の通り。

  • iPhone 8 (移動中の電話が必要な日のみ)
  • iPhone X (壊れたから)

Impression Management

頼みやすそうな印象を与えていると、何でも頼まれてしまう。何を頼まれても嫌な顔をし続けると、職場に不適合とまで思われる。人を選んで頼まれ事を引き受けると、また違った印象を周りに与える。頼めばルールを曲げて対応してくれる人と思われると、そういうお願いが集まってくる。

仕事を通じて他の人と接したり、何かを役割を果たし続ける時、impression managementはとても大事だ。この人ならルールを曲げてくれるという印象が定着するのは良くない。この人は組織のために何もしてくれないという印象が定着するのもよくない。リーダーの風格を装うのはリーダーの立場に立ってからがよく、その前に纏うと偉そうとか勘違いとか言われる。

故意に周囲へ与える自己の印象を安定させるのは、周囲との関係を安定させるためにも必要だと思う。情に絆される人は、気分で絆されるのはやめて欲しい。その結果、周囲まで判断基準を変えさせられるのは、とても困る。

自分に有利な印象を与えるためにもimpression managementという言葉は使われるかもしれない。ここでは、周囲との関係を安定したものにするには、自分から周囲への発信も安定していた方が良い、ぐらいの意味で考えている。自分の印象を裏切ってはいけない、というほどでもない。

引き際が見えない人

これはいつまでも、引かないという、興味深い元管理者の話。

ある元管理職の下に部下が2人いる。1人は長い間の上下関係にあり、主従関係に近い。もう1人は、最近、その管理職の手元に呼び戻してもらった人で、長期間の信頼関係がある。この管理職は、社外の仕事も積極的に行なっていて、社内と社外の立場を使い分けている。社内では雇用延長中で管理職は退いている。でも今でも社外で、それなりの立場と影響力を維持している。その管理職の社内外での肩書き上の引退が近く、肩書きがなくとも影響力を有し続けるために、この2人の関係を改めようとしていた。

元管理職の意向は、後者を社内で自分の後継者と褒めつつ、社外での自分の肩書きの多くを譲り、前者には社内で前者の指揮下に入らせることであった。これで、後者を通じて、社外への影響力を行使しつつ、前者に社内での自分と後者への便宜を図らせようとしたらしい。後者は、キャリアパスの制約から、社内では元管理職と同じ立場には立てない。また年齢は後者の方が少し上だが、一回りまではいかない。

元管理職の後継ぎ、という響きにどれほどの魅力があるか分からない。

前者は仕事量に敏感で、都合よく使われている代わりに得ていた支援と保証が、実はちょうどよかったらしい。それでも、その関係を年が近い後者と再構築する気はないようだ。後から来た少しだけ年上の人の下に入ると、頭を抑えられることにもなるので、あまり気持ち良くもないように感じていると見受けた。

後者は、全てではなく自分に利のあることは引き継ごうとしている印象がある。ある肩書きについて、後を頼むと言われた、と後者から聞いた。これまでも後者は元管理職の社外の仕事を分担していて、それらの一定量を引き受けて、影響力を有する立場に立つことには抵抗感がないようだ。慣れていることだから、芸と言えば芸で、新鮮味はない代わりに外れもない。

前者は永い友人で、後者は古くからの知り合い。どちらを支えるかを考えても、人のことは二択問題では済まない。どちらもそれなりに支援するしかない。でも状況は、元管理職の思惑からは外れつつある。

前者から便宜を図ってもらうのは難しくなってきた。後者は表面上は支えてあげているが、距離を取りつつある。私は計算に入っていないが、どうも何もしなくて良くなったらしい。それでも、元管理職は表面上は、従来通りの影響力を有している気分に浸りたいようだ。引き際が見えず、いつまでも現役世代に甘えたいようにしか見えない。

乾湿の差と限度

人の対応には乾湿がある。

乾はドライと読んで、規則通りの対応を指して言う。規則を文字通りに読み、四角四面に対応することである。窓口の業務では、これを心掛けておかないと、判断に悩むシーンが増えることになる。

湿はウェットと読んで、柔軟な対応とも言う。規則には大抵、曖昧な部分が残されている。また複数の規則を組み合わせることで生まれる例外を知っていれば、それを適用するように対応するのも柔軟である。ある程度、規則体系を理解し、適用の経験を重ねてやっと、少し柔軟な対応ができるようになる。

柔軟でも規則を曲げている訳ではない。規則のない状況に対して、規則をどのように援用するかも、対応する人の器量、度量、裁量に依存するところが大きい。

そして、周囲や上司に報告した時に、理解と合意が得られることが、外的な判断基準である。仕事にこっそりはない。それがウェットな対応の限界である。幾らウェットに対応したくとも、法律や職務規定などのルールを曲げることはできない。

家の片付け

ローンを払い始めて6年目に入った。同僚の昇進審査の期間と、引っ越しが重なって、独りだけ前の家に半年ほど残ったのを覚えている。それが2013年の暮れから2014年の春のこと。今は2019年の春。6年目に差し掛かったところだ。

毎回の引っ越しの後の悪い癖で、とりあえず荷物を移して、箱に入れたまま、そして積んだまま、新居での生活を続けている。今後、二度と使わないものもあるはずだが、日常に忙殺されているとの言い訳を使い、吟味もしない。今も段ボール箱に囲まれて暮らしている。前の住処でも同様だった。二つ前の住処から運び込んだ荷物の少なくない割合が、そのままヤマト運輸の箱に詰まったまま、次の引っ越しを迎えた。

しかし、今回は借家ではなく、自宅を所有した。所有したのなら、しっかり使わないのは損だろう。最近、そう思うに至り、自宅にいる時間を長めに取ることにした。

それで片付けを始めた、と言いたくて今日のノートを起草した次第。

Kindle Oasisを見つけた

iPad Proの水没とiPhone Xの故障の遠因となったKindle Oasisの失踪。それが解決した。本棚の裏に落ちていた。非常にコストが高くついた失踪騒ぎだった。

今日1日は充電をして、明日から現場復帰させる。

他者からの評価は、点で上書きされ、線では動かない

他者の評価について、昔のことを覚えている人、昔のことを思い出す人は多くない。通常は、最近の評価だけを脳裏に留める。

評価が変更されるのは、周りに影響を与える大きな何かが起こった時点でのように思う。この時の評価が、それまでの評価を上書きする。そんな人とは思わなかった、実はそういう人だったんだ、など。完全に上書きされるとは限らず、多面性を許容する人からは多面的に捉えられ、一元的にしか評価しない人からは評価の変更が行われる。

点と点の間を結ぶ線の上では、滅多に評価の変更は生じない。それまでの評価や印象を支える材料は積極的に流され、それらを裏切る材料は点の発生に繋がる。

昔はいい人だったとは、今はいい人ではないこと、昔とは変わったことを指して言う。ある特定のエピソードだけで他人を良い人と評価し続ける人も少ない。良いエピソードは悪いエピソードで上書きされることの方が多いように思う。昔にひとついいことをした人を、今でもいい人と思うには、その人が自分にとって概ねいい人であり続けた場合ではないだろうか。

そんな感じ。