感染した

パネルなしの宴会は2年間やってない。職場の同僚とのランチも途絶えている。満員電車では通勤してない。そんな2年間を過ごしていたところ、ささっと家族全員が新型コロナウィルスに感染した。その顛末を記録しておく。

同居している家族の1人が、体調不良を訴えた翌日に39度近くの高熱となったため、近隣の病院の発熱外来を受診してPCR検査を受けた。後で聞けばその1日前から体調が悪かったそう。PCR検査の結果は翌日に電話で教えてもらえる。

2日目、正午前に自分も体温を測ると37.2度だった。これは、高熱とは言わない。そして出勤したところ、午後になって家から連絡があった。病院からの連絡は、陽性だったとのこと。この時点で、自分ももう1人も濃厚接触者は確定したので、勤務先に自主隔離を伝えた。

3日目、朝に体温を測ったら、体調は何でもないのに、38.7度だった。これはほぼ確定だろう。同じ発熱外来を受診した。なぜか病院で測った体温計は36.3度を示したが、鼻の粘膜をこすりとるPCR検査を受けて帰宅した。

4日目、私も陽性。残る1人は、自分は太極拳を習っているから大丈夫と、自慢げに語ってた。

5日目、朝起きたら太極拳の人も38.6度の高熱を発していた。この日は週末で、発熱外来は休診だから、寝ていると思ったら、別の病院に相談して外来を受診してきた。やはりPCR検査を受けたそう。この日、自治体の食料支援が気にはなって、それでも写真を見たら、なんかだめそうなものがあって躊躇していた。

6日目、最後の砦が陥落した。PCR検査の結果は陽性という連絡を貰った。

7日目、自治体の食料支援が気になり始めた。

9日目、自治体の食料が段ボール箱で3箱も届いた。中身に中華丼がなかった。

10日目、残る2人の分の食料支援をお願いした。この日が最初の感染者の自宅療養期間の最終日。

11日目、最初の感染者の自宅療養期間が終わり、出勤していった。段ボール箱が6箱も届いた。

12日目、自分の自宅療養期間の最終日。

15日目、最後の1人の自宅療養期間の最終日。