可能性と適性の間の距離

携帯電話は、移動先での通話に始まり、テキストによるコミュニケーションを提供してフランクなやりとりを可能にし、インターネットに繋がって端末に育ってきた。スマートフォンは携帯電話のひとつの完成形だと評価するが、スマートフォンにはパソコンからの影響も色濃い。

パソコンは研究用の計算機から出発した。プログラムが実行できてゲームもできる家庭にもおける大きさになってきたあたりから、オフィスやビジネスを管理する道具と家庭でのアミューズメントの一翼を担う玩具として急速に普及した。マウスと窓型がベースのGUIインタフェースを得たあと、ブラウザのリッチ化が進んでインターネットの端末にもなった。

比較的長い歴史を持つインターネット環境がスマートフォン上で実現されると、文字入力もパソコンとスマートフォンの双方で同じようにできると良いと思われがちだ。でも、フリック入力で堅苦しいメールを起草するのは少し手間だ。親指を酷使して、似たような文章を別々のメールに対して起草するのは辛い。たとえば最初の10年間は特に気にならなくても、その次の20年にはきっと辛い。人類の進化の歴史の中で、親指はそれほど自在に動かしてきた指ではないそうで、酷使すると背中の筋肉や筋を傷めると聞いたことがある気がする。

そう考えるうちに、メールの送信や返信は、挨拶文抜きの短文で良い相手にはフリック入力で良いが、きちんとビジネス文書らしく起草するにはキーボード入力の方が効率がよく望ましい、という境地に至った。フリック入力は長い文章の入力には向かず、またキーボード入力の速度には敵わない。スマートフォンのためにキーボードを持ち歩くよりは、タブレットにキーボードを付与する方がトータルで軽くなる。

ノートパソコンも持ち歩きが可能だ。でも、タブレットに比べて移動先のビジネス用途には、余計な機能がありすぎる印象も抱いた。たとえばオフィスのデスクトップでのみ動けばいいソフトウェアが、出先で使えてしまう。

そんな検討をすると、鞄の中にはスマートフォンと、必要に応じてタブレットを持ち歩き、オフィスにはデスクトップパソコン、自宅にはノートパソコン、という布陣に落ち着く。どれで何ができるかという可能性と、どれをいつどこで使うのがよいかという適性は、なかなかに難しい。