端末とコンソールに思いを馳せた

必要なら買って良い。必要でなければ買わなくて良い。必要ないのに買うのは、余計な支出であり、説明がつかなくなる。説明がつかないことは、たぶん贅沢だ。

今秋にiPhone 11 Pro Maxは必要だから買った。iPhone 11 Proでも良かった。でも、大きい方を優先的に取り換えていくという判断をiPhone 8 Plusを買った年にしていて、今年もそれに従った。去年はiPhone Xを2台買ったが、あれは頭がおかしかった。明らかに贅沢だった。

私用にもiPhone 11 Proが欲しくなっている。買い換えたいが、買い換える必要はない。今のモデルで特に困っていないから。でも、搭載カメラの画質がとても良くなったとアピールされると、買い換えたくなるな。

今春に必要だったから1世代前のiPad Proを買った。主にクラウドサービスの端末用だ。これを買ったら、MacBook Airの稼働率がかなり落ちた。今秋に余裕はあるのだが、iPad Proを急いで買う必要はない。次のモデルが秋から春にかけて発売されることが予想されているし、それまで手元のiPad Proであまり不自由ないから。次のモデルが欲しいのは、ディスプレイを大きくしたいから。古くても良いが、新しいのが出るときっと欲しくなる。支出の間隔を狭める可能性があるなら、待つのが正しい。

これらは全て端末だ。最近、仕事用の端末をiPhoneを1台とiPad Proを1台に集約したいと考え始めた。iPad ProにもSIMを搭載して、Wi-Fiルータとして使えばいい。たぶん常に持ち歩くようになるから。そうするとiPhoneに電話会社のSIMを搭載する余裕ができる。今は通話、通信で1台ずつ、そして必要に応じてiPad Proを持ち歩いているから、これで1台減らせる。これらは速度と大きさを重視して、最新のモデルを追いかけたい。もう1台のiPhoneは私用なので、更新は最新を追わなくてもいいし、追いかけてもいい。これの支出だけは、合理的である必要はない。

ついでに、持ち歩かないコンソールに目を向けてみる。オフィス付近で使う大きなMacと自宅で使う小さいMacはいずれも最上位版で、たまに移動させる高いMacBookも最上位版にしている。これら以外は、クラウド端末で十分だ。先程も述べたが、すでに持ち歩くためのMacBookをiPad Proで置き換えた。こうしてネットにつながっていないと、何もできない環境になりつつある。望まなくても時代の流れには逆らっていないようだ。でも、このまま進んで大丈夫だろうかと思うこともある。

こんなことを考えないと、支出に歯止めがかからないとは、何とも困ったものだ。30分も自分を説得せずに、一瞬で判断していいことな気もする。