誰もが多かれ少なかれ、自分を可愛いがるものである。余裕がない人が、自分を可愛がることを忘れていることもよくある。しかし物事の選択において、本当の意味で自分を犠牲にし、他人のためだけを考えている人は、そう多くはないと考えている。倫理や人類愛は、そういうものではないだろうという主張には異論はない。しかし今は、多くの人には影響を及ぼさず、数人の小さい範囲のみの影響に留まる、日常の行動選択の話をしている。
自分のために何かをしてもらう時に、素直に率直に、お願い事だけを述べる人がいる。また、直接には言わず、遠回しな表現を繰り返す人もいる。その誰もが、依頼を断られた時に、同じような反応を示す。不快感を露わにするのだ。そして、その時、自分が相手から何かをしてもらうことの正当性の議論を作り上げ、主張し始める。どうも、今日は一般論ではなく、特定の人たちの話に終始しそうだ。誰もがこういう人な訳では無いな。
思い出した。あの人達からすると、今の状況を招いたのは、私の存在かもしれない。でも私から見れば、家系の割に非常識に一代限りの上役を甘やかし続けて増長させた人と、それに甘え続けて増長した人の間に挟まれただけだ。
私はそもそも、増長させるつもりはなかった。でも、あの人は考えなしに増長させた。自分のためだけに点数稼ぎをしただけと言うだろう。でも近くにいて、その人と比較され、私まで使われた挙句、低い評価を受けることになった。上役の引退に伴い、今度は私に合わせてくれているようだが、人の行動規範の本質は変わるはずがない。
だから、あの人は私を利用しようとしているだけだし、元の上役もこれからもあの人に甘やかされようとしている。何も期待してはいけないし、期待することもできない。そう言う人だと言うことを、不意に思い出した。悪気なく自分を中心に世界との距離を測る。
そうそう、発端はあちらだった。自分だけのためにいろいろ考えて動くが、そのことの周囲への影響には全く興味がない人。こういう人はここそこにいる。ただし通常は目立たない。迷惑を被るのは一部の人のみで、さほど目立たないからだ。
自分が可愛い人は、他人があまり可愛くない。自分のために何かをしてくれる人を高く評価し、組織のために動く人は高く評価しない。そういう人たちの下ではあまり働きたくないな。