端的に言えば、頭や身体に馴染んでいて対応や処理の速度が速くなるようなシナリオやタスクのコンビネーションを、周囲の人よりは多めに持つ。そうすると、周囲の人よりも早めに対応できるようになる。
一つのことにどう取り組むかは人によって異なる。例えば、朝起きて朝食を用意する際に、まず朝のお茶やコーヒーを淹れるためのお湯を沸かすか、材料をまな板の横に並べるか、あるいはメニューをその場で考えるか。そもそも事前にメニューを考えておき、前夜までに必要分を冷蔵庫にまとめておくと、お湯を沸かして冷蔵庫から取り出すことから準備が進む。素材が千切りを必要とするなら、鮮度を気にしなければ、前夜に切っておいていい。下拵えを必要とするなら、味が馴染むように少し前に予定しておくといい。
素材の取り分けや下拵えは、仕込みと言う。仕込みは準備でもあるが、一部を前倒しでの対応でもある。キッチンで何をいつどのようにどの順序で対応するかは、段取りと言う。この段取りが如何に細やかに気遣われているかで、キッチンの大きさが足りなくなったり、途中でシンクが洗い物で溢れたり、あるいは切り揃えたものがシンクにこぼれ落ちたりする。全てを考えて段取りを整えると、流れるような一連の作業で、全てのことが進行する。調理中に洗い物をしないと言ってのける女性の作業効率を、私は信じない。
効率の向上に必要なのは、仕込みと段取りの双方だ。これら全て、更には買い物から皿洗い、ゴミ捨てまでを合わせて、仕組みと言う。一つの仕組みが一つのことのためだけに考えられていると、他の事の邪魔をする。複数を仕組みをうまく融合させると、多くのことが滞りなく進む。一昔前なら、有機的に融合させる、とでも言っただろうか。
この時間はこのことに専念して他は後に回す。職場では家事について考えなくて良い。自宅では家事や家族を優先する。そのようなことを心がけると、想定される割り込みや想定外の状況発生の可能性を減らすことができるかもしれない。それは仕組みをうまく働かせ、段取りを綺麗に流す助けになる。
状況を正しく読む観察眼も必要だろうか。大局観と言う人もいるようだ。今、何をすべきか、何をするのが正しいか。一つのことを自分にとって最も効率良く対応できるとして、そのために他のことを無視しているようでは、組織の中で働くことに向かない。仕事が回らなくなることもある。
うまく回せる仕組みで稼いだ余裕をどのように使うかも、重要な検討事項だろう。それをすべて自分に投入するか、周りへの気配りに回すか、未来の自分への投資に使うか。どれをどの程度選択するかで、組織の中での立ち位置が定まっていく。
ここまで書いてくると、周囲へ常に気を配り、状況を読みつつ、専念できる時間を作って、迅速に対応する、疲れる毎日が正しい、と思えてくる。しかし、疲れてもいけない。効率向上がこんなにも、面倒なものとは。