博打に嵌って了見がなくなること

近所の子供が、一年以上に渡って他の子供がポケモンガオーレで遊ぶのを見続けて、遂にお札を二枚握ってお店に走ったそう。

子供は親との約束を一つ破っている。お金を使う時には親に相談してからにすること、と約束していた。これは子供も悪い。でも親のお金でなくて幸い。親のお金の在りかを子供も知っている。

これは子供を1人でお店に通わせるのが悪い。子供が持てるところにお金を置いておくのも悪い。こどもの行動を把握してないのも悪い。お財布をそこらに放置するのも悪い。子供本人よりも親の方に相当に責任がある。

だから怒るにせよ、叱るにせよ、親の責任を勘案しないと、子供が恨むかもしれない。今回の件は博打に嵌って了見をなくすのに似ている。当人は身銭をはたいたつもりで、親はお金を盗んだように感じているので、少し話は複雑だが、初めて賭け事に手を出したら、賭けるのが面白くなってしまい、つい賭け過ぎた状況だ。初めてのことだし、今後を見守る方が、今に厳罰を与えるより有効な気がする。

子供を導いてあげるのが親だけど、子供の行動は親の経験の範囲をしばしば超える。その時に親の考えを押し付けるか、子供と一緒に考えて親子とも納得する解決策を見出すか。それでその後の親子関係が大きく変わる気がする。

そう思ったけど、当人たちに伝えられないので、ここに書いておく。たまには、そういうことに使っても良いだろう。